新型インフルエンザについて

当院でも、受付も含めたスタッフ全員マスクを着用し、いろんな感染対策をして対応をしております。

また患者さん同士の待合室での感染を防ぐ為、患者さんの待合室でのマスク着用とアルコール消毒をお願いしております。

今のところ、弱毒性、若年者の感染が多い、しかし感染のスピードが早いなど少しづつ傾向が出てきつつあるものの、ウィルスについての正確な情報がまだまだわかっていないため、今後も慎重な対応が必要になると思います。

今後も新しい情報が入り次第対応してまいりますのでよろしくお願い申し上げます。

また、発熱のある方は、すぐに病院にいくのではなく、地域の保健所などに「発熱相談センター」がありますので、まずはそちらに電話で相談してから行動していただいたほうが良いと思います。

ギャザーの店長さん

同じフロアの美容院の店長さんです。

いつも熱い人生論を語り合いますが、昨日いい話を聞いたので書かせていただきます。

美容師さんの多くは髪の癖や形や技術にとらわれがちになるということですが、この店長は、髪を切った方が、その後、仕事で成功する姿や、笑顔で明るい人生をおくる姿なんかをを想像しながら、髪型を作っているそうです。

そういえば、わたしの考え方と共通することがたくさんあります。

いつも笑顔で迎えてくれるスタッフの方とともに私も非常にリラックスすることができました。

ありがとうございます。

歯科医師として

最近、研修医の方の見学や開業の相談などを受けることが多くなりました。

おかげさまでこの不況の中、毎日多くの患者さんがお越しいただけるようになったことに感謝しています。

勤務の歯科医師の方も見えますが今はお断りしています。

私自身は開業する前に年中無休の大型歯科医院に勤めました。

このタイプの歯科医院は、宣伝が上手で、確かに患者さんはたくさん訪れるのですが、スタッフの定着率が悪く、意思の疎通を測ることが中々できていない為、常にたくさんの教育が不十分な新人を抱えた状態になっていました。

また、新人の歯科医師も日曜日などを出勤すると、研修などを受けられないまま見切り発車になり、患者様を正しく診察することは困難であると思いました。

勤務医の歯科医師の多くは、現状に不満をもっていますが、不況と歯科医院の増加などから、開業できずに仕方なく勤務医に落ち着いているような状態でいます。(一部は勤務でやりがいをもっている方もいらっしゃいます。)

最近は、いろんな業種を模倣したマナーやコミュニケーションセミナーなどを行い、一見クオリティーの高い医院があります。

それ自身は、良いのですが、コミュニケーションのとり方や患者さんへの正しい説明のしかたは、医療特有のものがあり、マニュアルで教えることが出来ないような、真心と経験が必要です。

自分で開業した現在、勤務医の教育となると治療の技術教育も必要になるため、自分と同じレベルまで教育しようとすると、確立されたものを作ることは相当難しいものになると思います。

患者さんが急速に増えましたが、拡大や勤務医の先生を簡単に増やせない理由がここにあります。

ただし、若手歯科医師の教育は、今後のテーマとして大切に育てていきたいと思います。

今は、混雑している時間、なかなか予約を取りにくくてご迷惑をおかけすることもございますが、ご理解の程をよろしくお願いいたします。

青木 誠選手

医院に貼ってあるポスターの選手です。

デビュー当時から親交があり、最近5連続KO勝ち中です。

5月3日阿部野区民センターで試合があります。先日お亡くなりになった小松選手の追悼試合ということもあり、いつも以上の気合が入っていることと思います。

今年中にランキング入りを目指して、突っ走ってください。

がんばれ青木くん。

祖父の法事

母方の祖父の13回忌でした。こちらのおじいちゃんは、小さいころから口数が少なく、近寄りがたい雰囲気がありましたが、自分に厳しく一生現役を貫いた人でした。

私は、このおじいちゃんが大好きで、厳しさの中にもやさしさが溢れ、私には微笑んでくれました。 

「祐一、しまつせーよ。」(淡路の言葉で節約しなさいよということ)とか、「祐一、がんがんばっとるな。」とか会うと、いつも同じようなことを言っていましたね。

暖かさと包容力があり、会えば安心できる大きな存在でした。

おじいちゃんは私が歯科医師になってすぐに亡くなりました。もう13年も経ったのかと、しみじみ思います。

おじいちゃん、今の祐一は歯医者として、人間としてどうですか?天国からいろいろ教えてくださいね。

また自分を見つめなおす良い機会にめぐまれたことに感謝です。

僧医

新聞で対本 宗訓さんという人の記事を見つけました。

長い間、住職として生きて来られましたが、医師になり、僧医としての道を歩み始められたそうです。

僧侶として人の終末に携わって来られましたが、いかにして豊かに生きていただくかを考えての医師への転身であったようです。

また、緩和ケアなどにも力を入れていきたいようでした。医師としてそして僧侶として人々の人生を豊かに過ごしていただくために体の構造を理解し、心のケアも大切にして人と触れ合っていかれることと思います。

「僧医」という言葉や概念は今までなかったためになかなか理解しにくいですが、この先生の生き様が「僧医」というものをつくっていくのかなと思います。

苦しむ患者さんを本当に救う人になったとき、この先生に一度会ってみたいです。

子供の幼稚園バスの時間に合わせて仕事前の朝、家族で過ごす時間が多くなりました。

以前は子供の就寝時間がなかなか安定しなくて朝はひとりで過ごすことが多かったけど、みんなでワイワイ過ごす朝は、本当に楽しくて力の源になります。

これから毎日当たり前のように過ごすことになるであろうこの幸せな時間に感謝したい。

大先輩

先日、40年以上開業していた、ある歯科医院の先生が突然当院を訪問されました。

その方とは初対面でした。

お話を聞くと5月で歯科医院を閉院されるということで、何人かの患者様を当院におねがいしたいとのことでした。

40年前というと私は生まれていない時代でそのころは、抜歯が今よりも頻繁に行われていましたが、その先生は、歯を残すことに全力を注いでおり、お話させていただいても、患者さんを大切に思うやさしい人柄がうかがえる素晴らしい歯科医師であるということが理解できましたし、自分の考えと共通するところが多いと感じました。

40年間地域医療を守ってこられた責任感を託されたことが、良い使命感となりました。

患者さんを大切に思うその先生に野上に患者さんを託してよかったと思われるようにこれからもっともっと勉強です。

開業40年先、自分がこの先生のようにこの地域の方々を愛し続けられるように1日1日しっかり歩んでいこうと思います。

先生長い間お疲れ様でした。

小松選手

亀田大毅選手との試合を1ヶ月後に控え滝での精神修行中に死亡したそうです。

所属のグリーンツダジムは親しい選手が多く、人事とは思えません。

彼は最近ジムを移籍してきたこともあり、直接話したことはないですが、多くの試合を観戦させていただいたこともあり愛着のある選手のひとりでした。

亀田選手の試合を決めたことでも判るように過去にも現在世界チャンピオンの内藤選手やポンサクレックなど強い相手との厳しい試合を戦っており非常に強い精神力の持ち主でした。

東洋太平洋のチャンピオンに二度なっていたころから比べると一番最近の試合では1RKO負けをしており、またダメージの蓄積から動きにキレがないように見えました。

亀田選手との試合には相当な覚悟で練習してきたことでしょう。
本当に残念です。
4月は2005年に亡くなった田中聖二くんを想い、いろなことを考えます。

子供の頃、ただのボクシングファンであった私が、金沢ジムの藤谷トレーナーとの友情の元に深く関わるようになりました。

亡くなった選手たちに人生の厳しさを教えられて身が引き締まります。

彼らが命がけで戦うということをしっかり受け止め、悲しむばかりでなく自分も強い気持ちをもって関わっていく覚悟が必要がある。

小松選手のご冥福をお祈りいたします。

幼稚園

早いもので子供が今日から幼稚園にいくことのなりました。

3年前、開業直後の過労で倒れ病院に搬送されました。めまいと頭痛手足のしびれと頭痛で自分で立つことが出来なくなりました。

私はそんな経験ははじめてで、救急車の中で始めて死を意識し、娘が生まれてきても会えないかも知れないということを覚悟しました。

検査の結果、悪いところはなく静養したのち、今は元気いっぱいです。

3年前のことをいつも忘れることなく過ごしています。

娘とあえないことを覚悟していたことを考えると幼稚園に行く日にいっしょにいることができたことは本当に幸せです。

人生いいことも悪いこともありますが、子供の成長とともに過ごすことができること、家族が健康であること、スタッフが元気いっぱいであること、患者さんが必要としてくれることなど、これから毎日歩んでいく私の人生の道ですが、これらが当たり前のようにつづいていこくことが本当の幸せであると思います。

今、生きていることに毎日感謝しながら、笑顔でいつづけたいと思います。